マックのコーヒー

人の生活にまつわる色々な物事は常に目まぐるしく変化していて、ずっと同じことはあまり存在しない。これしか合わないと思っていたはずの口紅よりも質感の良い1つは3ヶ月もしないで見つかったし、頭が痛くならない香水は探してみると案外あった。ラーメンはやっぱり苦手でたぶんもう一年近く口にしていないが、水菜は結構食べられるようになった。季節だって一年に4回も変わるのだ。当たり前である。だから私たちは懐かしい音楽に再会するたびにその頃の失恋を否が応でも思い出すし、コストコの大きなピザを食べるたびにオーナーと喧嘩してやめたバイトの休憩時間まで空気は巻き戻る。

 

ただ、マックのコーヒーだけは切り取った場面場面にどうしても登場してしまう。とりわけ深夜のマックのコーヒーは。まぶたに浮かぶ光景の大体が夜になってしまうのは選択肢の少なさ故だ。深夜のマックは砂漠のオアシス、赤い看板だけが居場所になってくれている。だからマックのコーヒーを持ってるわたしはいつでも誰かを待ってるし、いつでも少しさみしい。ただ、「お待たせ」という四文字と共にやってきた金色の髪が眩しいようなことがあの時間のマックにはどうしてもある。その時のわたしは「全然待ってないよ」とかなんとかきっと言ったはずだ。ちょっと前に熱いコーヒーが入っていたはずのカップの中はもちろん空。寂しさもその時までには飲み干してしまっていたのであればよいなとその頃の私に切に思う。