地獄の釜で月見酒

あんなに命の源にしていた作家さんの本が読めなくなりました。
命の源になった作品はちゃんと読めるけど、最近出版された本に書かれていることは、宇宙語があればこれがそうなんだろうと思うくらい理解ができない。
でもそういう理解のできない思想を持つ人が世の中にはいて、私もまた誰かにとってそうなんだろうという気づきにはなりました。

人生に運転代行というシステムがあるならまだしも、残念ながらそんなものは存在しないので、私は自分の足で立ってずんずん進んでいかなくてはいけない。地獄の釜に浸かって、何なら浸かりすぎて熱さもわからなくなって、挙げ句の果てに地獄の釜で月見酒でもしているような一年だったけど、「前より元気になってる気がする」という友人の言葉で、やっぱりそれでもちゃんとずんずんと歩みを進めていたのだなと気づきました。
私が代わり、その人も代わり、それは理解できないことができて当然だ。

私の変化に気づいてくれる友人もまた、歩みを進める中で私のことを嫌いになるかもしれないし、私もそうかもしれないなあ、でも今日のことやこれまでのことが命の源であることは一生変わらないなあと思いながら、
私がこれ以上元気になってしまえば、ただの溌剌としたいい女が生まれて世界の均衡が崩れかねないと思わない?と聞いたら、うんとかいいえとかのかわりに、
「うわ、このつくね信じられないくらい美味しい」
と返ってきました。