原材料

もしわたしの背中に原材料名が並んだ表記があったなら、そこには確かに「嫉妬」の二文字が並んでいるに違いない。

今でこそ、違いない、と断言できるが、まさか生まれた時から嫉妬心を持ち合わせてきたわけでないだろう。20年、四半世紀の半分にも満たない年月を過ごしただけでわたしの背中には「嫉妬」の文字が焼印のようにしっかりとドス黒く刻まれてしまっている。

 

容姿の良さや幸せな結婚、不自由ない暮らし。夢とすら呼ぶことのできないそれら願望は、それそのものにほとんど価値を持っていない。街ですれ違う美しい人の自分で自分を肯定している、そうしうるだけの価値を認められるその揺るぎなさ。夕方スーパーでベビーカーを押す夫婦を包む綿毛の様な光、薄いこがね色の幸福感。駅の改札口で手を振るおじいちゃんとその子供、その関係を築けるという事実、過去からの愛の連鎖。それらに少なからず嫉妬心を抱きながら、それに気づかないフリをして願望などと言う体の良いものに昇華してしまっている。私たちが望む多くのものの価値はその望みを手に入れた自分とそうでない他者との比較の元に存在する。私が怠けて過ごした1日を後悔してしまうのは、怠けず1日を過ごした想像上の自分への嫉妬からではないか。

 

そうして私は死ぬ間際にもっと良い死に方があったと呟くに違いない。